このALD-Japanの年次総会が2008年7月27日に高田馬場で開催され、活動報告などが行われたのだが、そこでぼく(熊切)はALD-Japanの日本人アドバイザーに任命された。この光栄な責務を負うにあたって、ぼくが行った短いスピーチはおおよそ次の通り。
「日本における少数民族の政治運動は、今や新しい段階に入ったといえます。これまでの活動は日本政府、日本社会に対して『ビルマには、わたしたち(少数民族)もいるんだ!』ということを訴えること、日本に逃げて来た少数民族として声を上げることが主眼とならざるをえませんでしたが、この訴えはじょじょに浸透してきているように思います。そこで、次の段階として少数民族政治団体がすべきなのは、アラカン人ならばアラカン州の現状はどうなのか、どんな民族的迫害が行われているのか、また日本では難民としてどのような困難に直面しているのか、といった具体的な内容について日本社会に訴えていくことです。
「それともうひとつ付け加えるならば、難民としての悲惨な事実だけでなく、アラカン人がどれだけ素晴らしい文化、歴史をもっているか、ということも日本人に語る必要があります。ただ単に迫害されて逃げてきただけではない、わたしたちアラカン人は日本社会にこんな寄与もできるのだ、ということを訴え、同時に自ら模索し続けることは何よりも大切なことです。日本人のアドバイザーとして、少しでもそのためのお手伝いができればと思っています。」
ALD-Japanの活動をもうひとつ。9月7日大塚で開催されたALD-Japan主催の第69回ウ・オッタマ記念日式典のことだ。ウ・オッタマは、アラカン出身の僧侶で、イギリス植民地下にあったビルマで独立のために闘ったビルマ史上の偉人のひとりだ。日本に留学するなどに本とも縁が深く、根本敬先生もたびたび彼の生涯を取り上げられている。ウ・オッタマの命日を記念して開催されたこの式典では、去年のいわゆる「サフラン革命」の活動家たちに対するウ・オッタマ賞の授与や、ウ・シュエバで知られる田辺寿夫さん、アラカン人のエイチャン先生(神田外語大学准教授)のスピーチが行われた。残念だったのは、日本人の出席者がほとんどいなかったことで、日本にゆかりのある人物だけに、非常にもったいなかった。とはいっても、こうした集会が行われるの歓迎すべきことで、この式典がウ・オッタマを通じてアラカン人と日本人との関係、ビルマと日本との間の歴史理解を深める場となるよう、発展していってほしい。
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