2008/10/21

モウニーさん 頑張れ!

熊切 拓

2008年9月17日午後2時、東京地方裁判所709号法廷で、ソウ・ミョーカイシンさんの難民不認定処分の取り消しを求める裁判があった。

在日カレン人のソウ・ミョーカイシンさんは、カレン民族同盟日本支部(KNU-Japan、KNUはカレン人によるビルマ最大の反政府組織)の代表をしている。彼のことが知りたければ、品川のビルマ大使館でもどこでもいいから、ビルマの人たちがデモをやっているところにいってみるとよい。

カレン人の民族衣装を着て、英語で「人権を守れ」とか「われわれは平和を愛す」とか書いてあるプラカードを頭上に掲げて、いっかな退かぬといった風情で仁王立ちしている痩躯の男性がいたら、ほぼ彼だ。だが念のため、「モウニーさん」と声をかけてみよう。

モウニーというのは彼のニック・ネームで、ビルマ語の名前を付けられたことを悲しんでいる彼はたいていこっちのほうの名前を使っている(もっとカレン人らしい名前、モウクロートゥを名乗ることもある)。だから、ここでも彼をモウニーさんと呼ぶことにしよう。

さてモウニーさんは、あなたが声をかけてくれたことを心底喜んでくれるだろう。そして、ビルマの中でカレン人が受けてきた迫害を、ときおり彼の経験を交えつつ、そしてときには涙を流しながら、語ってくれるだろう。あなたは心を打たれるに違いない。もし彼の日本語がわかったならば。

モウニーさんと付き合いはじめて10年にもなるぼくが言うのだから間違いない。彼の日本語は非常にわかりづらくて、ときには話題を見失ってしまうほどだ。それでも、ぼくが彼と頻繁に会いうことをやめないのは、そのクタクタの日本語の背後に、ひとりの情熱的なカレン人活動家が、ひとりのずば抜けて優しい男が、そしてその優しさゆえにいくつもの悲しみを宿す人間がいるからだ。

そんなわけで、ぼくは彼のことをひとりの人間として尊敬しているのだが、言葉の問題もあって、政治活動家としての彼の信条についてきちんと聞いたことはなかった、いや、むしろ過小評価すらしていたと思う。

だが、今回の裁判で、渡辺彰悟弁護士の質問によって引き出され、宣誓した法廷通訳の田辺寿夫さんによって訳されたモウニーさんの陳述は、誠に堂々たるものであり、カレン民族同盟日本代表の名に恥じぬものであった。

例えば先に触れたように、彼は、裁判での彼の言葉によれば「100のうち99」はカレン伝統衣装をまとって政治活動を行っている(この裁判もまたその99のうちに含まれていた)が、これについて何人かの在日カレン人が「みっともない」と言っていたのをぼくは聞いたことがある。確かに「TPOも大事かな……」とぼくも思ったぐらいだが、こうした行動には実はモウニーさんなりの深い考えがあったのだった。

彼は語る。「どんな政治活動においてもわたしがカレン人の衣装を身に着けるのは、カレン人がビルマ人と一緒に軍事政権と闘っていることを、ビルマ人、そして日本人に知ってほしいからです」 

これはつまりこういうことだ。もしモウニーさんがカレンの衣装なしでデモに参加したとしたら、そこに一人でもカレン人がいて、ビルマ人や他の民族と協力して抗議の声を挙げていたという事実は失われるだろう。デモにいたビルマ人たちは、カレン人がいたことを知らず、ビルマ民主化にカレン人は協力的でなかったと思い込むだろう。抗議される側の軍事政権は、そのデモにカレン人がいないことをもって、自分たちの進める国民分断作戦が成功していることを確信するだろう。デモを見ている日本人は、カレン人がいないのを見て、カレン人はビルマ政府に文句がない、あるいはそうではなくても極端に閉鎖的で非協力的な民族であると結論づけるであろう。いや、そもそも日本人はカレン人のことなど気にもかけなくなってしまうかもしれない。そして、そのデモをたまたま見かけたカレン人は、デモ参加者の中にカレン人がいないのを見て、民主化運動においてもビルマ人はカレン人を疎外していると信じ、ビルマ人に対する憎しみをつのらすだろう。

たかが、民族衣装かもしれないが、少なくともデモやイベントなどの場においては、それが、あるいはその不在が引き起こす影響は大きいのだ。

面白いのは、ビルマ人の中であえて民族衣装を身に着けることが、孤立化を意味しないということだ。むしろその逆だ。モウニーさんがときに嘲られても身につけ続けるカレン人の衣装は、「ビルマ人とカレン人は協力している」という強いメッセージとなるのだ。そしてこのメーッセージ自体、タイ・ビルマ国境のKNUからの指示であることを、モウニーさんは明らかにする。

KNU日本代表としてKNU幹部は彼に次のように告げたという。「日本では、そこで活動するどのような団体であろうとも、正しい旗印のもと正義に則った活動をしているのならば、協力しなさい」と。この言葉には、カレン人の解放は、カレン人の分離独立、戦争やテロによるのではなく、ビルマ人を含めた他の民族との協力関係を通じてしかありえない、という現在のKNUのメッセージが強く反映している。

モウニーさんをはじめとするKNU-Japanの10人のメンバーは今のところ、在日ビルマ民主化運動の中でこの指示を積極的に果たしているように思える。だから、デモの現場に行ったあなたはおそらくモウニーさんの隣に、他のKNU-Japanのメンバーがいるのにも気がつくに違いないのだ。

他の民族と協力する、とは言うのはたやすいが、その実、実行するのは非常に難しい。とりわけ、他の民族、それどころか同じ民族に幾度も裏切られてきたカレン人にとっては。現在日本には、KNU-Japanのほか、2つの在日カレン人政治団体があるが、この2つはKNU-Japanほど他組織との協力に熱心ではない。それどころか、逆の方向に向かいつつあるとの話を聞く。

自分の組織が思うがまま振る舞えるよう、他民族の団体に圧力をかけてみたり、「もうビルマ人は信じられない。自分たちの民族のことだけをしよう」などといって、JAC(在日ビルマ人共同行動実行委員会。32の在日ビルマ民主化団体からなる)からの脱退を議論してみたり、偏狭な民族主義の臭いが芬々だ。ぼくはこのどちらの団体にも深く関わっていたから、この現状にはまったく失望している。

とはいえ、この二つの団体だけを責めてもしょうがない。これは無自覚な民族主義、自民族中心主義のはらむ危うさという観点から考えるべき問題であり、いうならば、日本人の外国人差別をも含めて論ずるべき深い問題だ。だから、ここでは次のことだけを簡単に指摘しておこう。

他民族を無視して、自分の民族だけの活動に専心することは、他の民族と協力して事を進めることに比べれば、はるかに簡単だ。気心の知れた同胞だけとの活動を楽しみ、異分子が生じれば切って捨てて、組織の同質性を維持するのは、まったく考えも背景も異なる人々ととことんまで議論し、あやうい平衡を保ちながらなんとか活動を維持していくのとは、必要とされる能力、経験も異なる。それゆえ、経験も能力もない場合、組織はやがて易きへと流れていく、つまり議論と対話を拒むようになり、自民族中心主義というモノローグのみこだまする落とし穴にはまっていく。

はまるのは勝手だが、はまりきってしまう前に、その典型が、現在のビルマ軍事政権なのだということも知っておいたほうがいいだろう。そして、政治団体を名乗るからには、次のことも知っておいたほうがいい。易きに流れた分だけ、安く人の命も失われるのだ(このことは我が国の例の不幸な戦争が証拠立ててくれている)。

ともあれ、狭隘な民族主義に足を取られず、つねに他の民族とともにあろうとするモウニーさんとKNU-Japanにエールを送ろう。あなたの歩む道は厳しく困難だけど、その困難さが道の確かさの証拠だ、と。けれど、奥さんにはあんまり苦労はかけないようにね。

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