2008/10/21

パダン・シガより

「パダン・シガ(Padang Shiga)」とは、1990年代から在日カチン人によって発行されているカチン語誌で、日本国内のニュースや世界情勢、在日カチン人コミュニティの情報などが満載の月刊誌です。

少数民族の権利がほとんど保護されていないビルマ国内では、カチン語による執筆、出版、教育に対して非常に厳しい制限が課されているため、カチン語で雑誌を発行すること自体が非常に大きな意味を持ちます。今回掲載する2つの記事は、この「パダン・シガ」の編集長を2002年8月から約4年にわたって務めたカチン語作家・編集者であるマジ・センリさん(カチン民族機構-日本KNO-Japan)の手になるものです。

「カチン語の読み書きのできる若者はますます少なくなり、カチン文字(ローマ文字をもとにしてできた文字体系)は今や消滅寸前です。わたしはこのような現状に心を痛めています。国外で自由に活動できるわたしはカチン文字を発展させるためにできる限りの努力をしてきました」と語るセンリさんは、現在も旺盛にカチン語による文筆活動を続けています。


Padang Nsen 勝利の声
「パダン・シガ」2005年8月号(第89号)

カチン民族は「封建時代」には生活水準は低いものでしたが、それでも一人の指導者の下に誰もが従い、団結していたことが思い出されます。当時のわたしたちの宗教は精霊信仰でした。この昔日の団結が何に由来するのか、考えてみましょう。

活ける神の福音を授かった今、カチン民族はどうして団結を失ってしまったのでしょうか。それは、ひとえに驕り高ぶりによるものです。聖書には、自分の分別には頼るな、と書いてあります。現在のカチン民族は自らを頼みとするあまり、他の人と協力することを忘れてしまったのです。

今のカチン人社会を見ると、信仰もバラバラ、政治的にも分裂状態、文化的にも不協和音が鳴り響き、カチンの6民族の間でも覇権争いにいとまがありません。神さまはこの有様を見て、「カチン民族を創ったのは失敗だった」と嘆いているかもしれません。こうした状況の責任が誰にあるのかといえば、指導者たち以外にはありえません。指導者には、人々の団結への意志が不可欠なのです。ただ正義のみを追求しなくてはならないのです。

すべてのカチン民族が団結すれば、必ずや神さまの恵みによりわたしたちは勝利し、ビルマ軍事政権の軛より解放されることでしょう。「解放」というのは、暗闇から光へ、分裂から統合へ、軽蔑と迫害の的から敬意の的へ、無名の存在から有名な存在へ、萎縮した状態から伸び伸びした状態へ、低みから高みへ、逆境から順境へ、諦めから実現へ、最低から最高へ、偏狭さから寛大さへ、貧しい生活から豊かな生活へ、かつかつからたっぷりへ、奴隷根性から主体的存在へ、不安定から安定へと至るということを意味するのです。

解放とは、この世でもっとも意義があり、喜ばしい勝利(パダン)に到達することなのです。

Gawkngu The Galai ai Mahkrai Daw Hten
パゴダ建設と引き替えの橋、崩落す

「パダン・シガ」2003年7月号(第65号)

2003年4月の落成式に間に合わせようと、橋の完成度をチェックするため車3台渡らせたところ、橋中央の連結部が崩壊し、橋全体が崩落した。3台の車は破壊され、30人の死者が出た。死者の多くは中国人で、その他はわたしたちの同胞カチン人だ。

カチン州東部のザンノウンとチプウィ村の間を流れるンマイという川がある。このンマイ川を横切り、ザンノウン村とチプウィ村とで行き来ができるように、2002年10月、中国のエンジニアが協力して橋の建設がはじまった。マリ・ンマイ・ワロウンから中国への木材の輸送に、この橋が使われるのだ。

キリスト教徒の村パンワ村にパゴダを作れば、橋の建設を許可しよう、というのが軍事政権と停戦中のカチン人指導者のお言葉で、早速パンワ村に仏教パゴダが建設された。

チプウィ村とロウコウンがいよいよ繁盛するようにと、ビルマ軍事政権にすり寄ってパゴダを建設し、ついにンマイ川を渡ってザンノウン村とチプウィ村を結ぶ橋(崩落したもの)、そしてカンパイティから中国を結ぶ、ダマ川とンマイ川の合流地点の橋の2つが建設されたのだ。これらの橋は軍事政権から許可が出るやいなや中国のエンジニアが駆けつけて速成した代物だ。

同様にミッチナーとワイモーを結ぶマリ川の橋、バラミンティン橋も、停戦協定の後、軍事政権が建設した橋のひとつだ。ここには人の出入りを管理する入管があり、軍事政権は橋を渡る人々から通行料をたんまりせしめている。そんなわけで、バラミンティン橋は、人々から「ダミャーミンティン」橋(追い剥ぎ橋)と呼ばれているそうな。(了)

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